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Ⅱ.SF作品に見る女性像

「バルーンタウンの殺人」に描かれる女性像について

 

2014年4月29日講義 フェミニズムSF
小谷 真理先生

 この小説のなかで女性、なかでも「妊婦」とは極めて異種のもの、または男性からだけではなく同じ性別である女性からも差別の対象として思われている。またこの点が読んでいても現代における日本との大きなちがいがあるなと感じた。現代において女性は比較的には「大切に扱われるべき存在」であり、特にその中でも「妊婦」という存在は最たるものである。子供という次の世代につながる生命をお腹に宿すという妊婦という存在は丁重に扱うべきであり、例えば電車の中で妊婦さんが立っていたら喜んで席を譲るのが日本においての美徳といっても過言ではないだろう。ゆえに近未来の東京にある「バルーンタウン」以外においての妊婦の扱いはなかなかショッキングなものであった。お腹の膨らみを「気味が悪い」と感じる女性、またバルーンタウンで生活する光景を「人間」とは違ったひとつの生物のように見えるという表現。科学技術の発展により「自然分娩」という行為が時代遅れになってしまうという風に物語では描かれている。

 

 またこの物語のなかでは男性という存在自体があまり出てこない。バルーンタウンに住む住人たちも基本的には妊婦のみで夫やその家族が一緒に暮らすという描写は見受けられない。戦後付近の昭和などの日本においてあまり女性は外で仕事をするというよりは家で家事に専念するというのが常識と認知されていて、このバルーンタウンにおける女性たちも主に夫やまた家族という存在から伝統的な主婦としての役割を任されているのだろうなと感じた。どの妊婦も自分の子供がキチンと生まれてくるように細心の注意を払い、また極めて女性らしい描写が多く見受けられる。「妊婦」と「女性」という存在が区別され、描かれている。物語の中で出てくる「妊婦」という存在は極めて保守的であり、近未来としての東京という街においては少し時代遅れな異民族として描かれているのに対し、妊婦ではない「女性」は仕事、または自分の人生を中心に考え、男性とほぼ対等に扱われていく存在として描かれている。

 

 現代においての日本の女性像は後者のほうに少しずつ近づいている傾向にあるだろう。昨今妊婦に対して嫌がらせをする「マタニティハラスメント」という言葉も認識されるようになり、少しずつ「妊婦」という存在が100パーセント大切に扱われてはいないという状況も増えてきている。そう思うといずれそう近くない将来、本当に「妊婦」という存在が異種民族というマイナスな方面で捉えられてしまう日が来てしまうのかと思った。ただ少しバルーンタウンの話と違うところもあり、バルーンタウンは科学の進歩が妊婦の差別へとつながっているのに対し、現代起きている「マタニティハラスメント」で起きている妊婦への差別は単に心理的な要因が主であるということであり、これにもし科学的な進歩が合わさることになるとまたさらに新しい妊婦への価値観が生まれていくのだろうと思った。

Midori Sato

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