top of page

日常の中の『SF』 

2014年7月15日講義 ゲームをデザインする
簗瀬 洋平先生

 

 私が日常の生活の中で最も近未来的な何かを感じるのは地下鉄である。ふと電車がホームに向かってくる瞬間などに「いまこの瞬間に電車じゃない何かがやってくるのではないか」とか電車に乗っていてもたまに「次の駅でドアが開いた瞬間に地球ではない場所が広がっていたらおもしろいのにな」とかお話として成立しそうなことを考えてしまう。私は個人的に、未来的だと一般的に思われるものには合理性が重視されており、SFというのはその合理性で固められた状況に突如として今までを打ち破る何かがエッセンスとして加わることでSFとしての要素を満たすのではないかと思う。また私は公共の交通機関の中で特に合理性というかその時間の正確さや、人の流れ方から電車が一番合理的な乗り物だと思うので電車というのがSF的なシチュエーションを考えやすい最もなものなのだと思う。だから実際「銀河鉄道」というお話もあるぐらいだし、鉄道とSFとの間には根深いつながりがあるのかなと思う。

 

 あとは日常というか日々暮らしている中で果たして今自分が生きている時間や環境自体がどこまでたしかなものなのかなと思うときがある。言ってみれば何もかも不確かであるわけで誰かが確実に決めているわけではあるが、そこが本当に正しいのかは謎だなと思うことがある。これもある種のSF的な思考ではないのだろうか。地球以外にも確実に他の惑星はあるわけで、もしかしたらまだ見つかってないだけでそこに新しい人のような生命体はいるかも知れなくて…なんて考え始めると、いまこの地球という星で暮らしているという日常全体の端々にSF的な要素は潜んでいるのかなと思えてくる。

 

Midori Sato

 自分が日常の中に感じるSFとは現代の科学技術が身近にある事。過去の人間が空想として妄想していたが昨今の世の中ではどんどんと現実になっている。それが10年単位などではなく日々進化している点がとても身近に感じる。現代は携帯電話ひとつで(これも古臭い表現かもしれないが)で情報が手に入り、仲間と情報を共有できる時代になっている。『NTT』のCMで電話が発明される時代に現代の人間がタイムスリップし現在の電話(=スマートフォン)を紹介するものがある。過去の人間にとっては空想であったことが日々現実となっているのである。そしてその進化は数年前のモノを置き去りにし新しいモノが次々と生み出されている。それこそが自分が身近に感じるSFである。またこれは科学技術が発展して以降あり続けてきたことなのかもしれないが、功罪もあると感じる。それは今はわからないことで、先になってみないと分からないという恐怖がある。これもまた強くSFを感じさせる。原子力の問題など我々の目の前にあるはずの科学技術は多くある。そのひとつひとつを理解し、自分たちの中で消化していくことが身近なSFに対する理解であると感じた。

Shunsuke Kuroiwa

bottom of page